チック・コリア ブルーノート東京 〜 CHICK COREA TRIO

2007年9月29日(土) ブルーノート東京

CHICK COREA Rendezvous in TOKYO-
CHICK COREA TRIO with JOHN PATITUCCI and ANTONIO SANCHEZ
チック・コリア トリオ・ウィズ・ジョン・パティトゥッチ・アンド・アントニオ・サンチェス

http://www.bluenote.co.jp/jp/schedule/detail.php?id=79

超大物ピアニストが人気、実力ともトップクラスの
豪華メンバーとともに繰り広げる夢のクラブ公演

●ランデヴー・シリーズ第2弾は、チック・コリア・ニュー・トリオが日本デビュー。新任ドラマーは、パット・メセニーに絶賛され、先頃、初リーダー作を出したばかりの俊英アントニオ・サンチェス。この3人が一堂に会したのは、間もなく発売になる最新作『ドクター・ジョー〜ジョー・ヘンダーソンに捧ぐ』の録音が初めて。にもかかわらず、「ジョーのスピリットがスタジオに舞い降りてきたかのようだったよ」(チック)。年輪を重ねるたび逞しく豊かになっていくチック、ベース・ヴァーチュオーゾの通り名がますます似合うようになってきたパティトゥッチ、そして、ふたりの創意のツボを激しく突くサンチェス。わずかひとり人が代わるだけで、音楽がガラリと変容するピアノ・トリオの醍醐味も付いてくる。

チック・コリアは1941年6月12日、マサチューセッツ州チェルシー生まれ。ジャズ・トランペット奏者の父親のもと、6歳からピアノのレッスンを始め、ドラムスやマリンバもプレイした。1960年代初頭からプロ活動を始めると、モンゴ・サンタマリアやハービー・マンらのバンドで演奏。’67年にスタン・ゲッツ・グループに参加することで頭角を現した。’68年からマイルス・デイヴィス・グループに加わる一方で、ピアノ・トリオによる傑作『ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブズ』(EMIミュージック・ジャパン)を録音。’72年に旗揚げした“リターン・トゥ・フォーエヴァー(RTF)”の活動にも力を注ぎ、’75年のアルバム『ノー・ミステリー』でグラミー賞を初受賞。RTF解散後は、ハービー・ハンコックゲイリー・バートンとのデュオ・ツアーのほか、キース・ジャレットとも共演。’82年には、パコ・デ・ルシアとの夢の共演を果たした『タッチストーン』をリリース。’85年末には若手メンバーを従え、“エレクトリック・バンド”を結成してRTFの音楽コンセプトを深化させ、グループを母体にしたアコースティック・トリオでは、スタンダード曲に新風を吹き込み高い評価に包まれた。以来’90年代も、ピアノ・ソロによる初のスタンダード集『星影のステラ』、スペシャル・プロジェクトで巨星を偲んだ『バド・パウエル追想』、ゲイリー・バートンとのデュエットによる『ネイティヴ・センス』などの力作を続々とリリース。’97年には3管6人編成の“オリジン”を結成。続いて“オリジン”のリズム・セクションでニュー・トリオも組むなど、精力的な活動を繰り広げてきた。また、オリジナル・コンチェルトをロンドン・フィルハーモニー管弦楽団と演じた『コンチェルト』(ソニーミュージックジャパン・インターナショナル)で、第43回グラミーの「最優秀器楽編曲賞」を受賞。コンサート活動にも全力を注ぎ、’01年にはNYブルーノートで3週間連続の特別公演を、’02年8月には、カリフォルニアのハリウッド・ボウルで「チック・コリア&フレンズ」コンサートを実施。ミロスラフ・ヴィトウスロイ・ヘインズとのトリオ、RTF、マイケル・ブレッカーやエディ・ゴメスとのカルテット、エレクトリック・バンドなどを再編成し、チック・コリア・ミュージックの壮大な絵図を展示。それを機にエレクトリック・バンドの再結成にも動き出し、’05年の日本公演を含むツアー後に『トゥ・ザ・スターズ』をリリース。さらに、同年はスパニッシュ路線の“タッチストーン”を再結成。翌’06年の『アルティメット・アドヴェンチャー』ではグラミーをダブル受賞。次いでベラ・フレックとの『エンチャントメント』を録音するなど、楽想の振れ幅を大きく広げてきた。最新作は、ジョン・パティトゥッチとアントニオ・サンチェスとのトリオよる『ドクター・ジョー〜ジョー・ヘンダーソンに捧ぐ』(以上で注記のないアルバムはユニバーサル ミュージックから)。来日するのは、’06年8月の当店公演以来約1年ぶり。オフィシャル・サイトは「http://www.chickcorea.com/」。

●ベーシストのジョン・パティトゥッチは、1959年12月22日、ニューヨーク州ブルックリン生まれ。ギターを弾いた兄の薦めでベースを始め、11歳でジャズに傾倒。ロサンジェルスに転居してから、エレトクリックとアコーステイック・ベースを本格的に学んだ。大学で頭角を現し、卒業後はスタジオ・ミュージシャンとして活躍。85年にチック・コリアの“エレクトリック・バンド”に抜擢され脚光を浴びた。すると、チックのプロデュースによる’88年の初アルバムがグラミーにノミネート、6弦エレクトリックとアップライトを自在に操る両刀遣いでジャズ&フュージョン界の寵児に。エリック・マリエンサルらチック人脈をサポートする一方で、マンハッタン・ジャズ・クインテットでもプレイ。’92年の大作『ジャズとベースとオーケストラの為の協奏曲』で高い芸術性を展示し評価を決定づけた。’90年代末から、ウェイン・ショーターハービー・ハンコックなどジャズ・マスターの薫陶を受け、レコーディングやツアーに大奮闘。最近は、ハンク・ジョーンズの“グレイト・ジャズ・トリオ”をオマー・ハキムと担い、巨匠のアルバムや公演を盛り立ててきた。自己名義の最新作は『ライン・バイ・ライン』(以上のアルバムユニバーサル ミュージックから)。来日するのは’06年9月以来1年ぶり。オフィシャル・サイトは「http://www.johnpatitucci.com/」。

●ドラマーのアントニオ・サンチェスは、1971年11月1日、メキシコの首都メキシコ・シティ生まれ。母国の国立音楽院でピアノや作曲を学んでから、バークリー音大、ニュー・イングランド音楽院に留学。それぞれでスカラーシップを得てプロ活動を開始。ピアニストのダニーロ・ペレスのトリオに参加して知られるようになった。以来、ペレスのほかアヴィシャイ・コーエンやダヴィッド・サンチェスらとレコーディング。’01年からパット・メセニー・グループのレギュラーになり、『スピーキング・オブ・ナウ』の録音に参加。’02年9月に同グループの一員として初来日を果たした。斬新なリズム解釈とビート感覚を絶賛するパットは、クリスチャン・マクブライドとのトリオでもサンチェスを起用。マイケル・ブレッカーの『ワイド・アングルズ』の録音と、それをフォローする日本公演でも好演を繰り広げてきた。9月に待望の初リーダー・アルバム『マイグレーション』(ビデオアーツ・ミュージック)も発表。プレイと作曲の両面で高評を集めたばかり。来日するのは、’06年5月の当店公演(ゲイリー・バートン名義)以来1年4ヵ月ぶり。オフィシャル・サイトは「http://www.antoniosanchez.net/」。


・2007 9/29 Sat.

                • -

1ST

MC
1. ILLUSION
2. MYSTIC BRIDGE
3. CREPESCULE WITH NELLIE
4. M.M.
5. DR. JOE

EN
6. 500 MILES HIGH

                • -

2ND

MC
1. DR. JACKLE
2. WALTZ FOR DEBBIE
3. THE PROMISE
4. ZIG ZAG
5. BLUES FOR DALI

EN
6. SPAIN


チック・コリアののLIVEを観に7か月振りにブルーノート東京へ。
あれから(6月から)リニューアルはしていたそうですが、リニューアル後は初めてだった。
以前はチケットを半券の紙で渡されたんですが、それがコースターになってた。御洒落ですね。コレって。

1st&2nd 両ステージとも観たんですが、やっぱり凄かったわ。やっぱり通しで観るべきだねぇ。
間近に座れたのでトリオのインタープレイも十分に堪能できたし、勿論チックとも握手も出来たし(!)、全く衰えを感じさせないアグレッシブな演奏でした。

全然健在でしたなー。また観に行きたいッス。

個人的には 何よりもRTFの名曲「500 MILES HIGH」が聴けたのが 夢のよう.....。


詳しくはmixi日記に書きましたので詳しくねっとりと...。(笑)→



終わったのが11時48分だった。
し、終電がぁ.........。(苦笑)